立ち止まれたら一歩進んだ、理由なく不登校になった私のきっかけ
取材
2019年10月4日
現在、大学で学んだインドネシア語を活かし現地での日本語教育アシスタントなどに関わるmayo さん。不登校時の気持ちや、そこからの第一歩をどのように踏み出したのかをお聞きしました。
休めることを知ってしまった
── 不登校になったきっかけを教えて下さい。
4年生の時、ずっと選ばれてた県の陸上大会に選ばれないんじゃないかって不安で、風邪をひいたフリして休んだんです。その時はそれで済んだんですけど、でもそれで病気だと言えば休めるんだ、と。逃げ道を知ってしまって、癖になったんですね。
── そもそも学校には行きたくはなかったのでしょうか。
女の子って男の子よりも成長が早いからか交友関係を気にする時期で、それが面倒くさかったですね。
前に仲良かった子が何か悪口言われている状況とかが嫌だし、でもそこに立ち向かうほど正義感も溢れてなかったんです。
そういうこともあり、小学6年生のクラス替えがきっかけで完全に別室登校か家にいるかという感じになりましたね。
── クラス替えが嫌だった?
新しいクラスに仲がいい子がいなかったんです。今までだったら、最初は仲良くなくても徐々に仲良くなる過程で、嫌なこともありつつ乗り越えるっていうことができてた。でも、休むっていうことを知っちゃってたんで…もうやだ、行かないとなりましたね。
── ご家族はどんな反応でしたか?
母親は割と味方でしたが、それ以外の父親とかおじいちゃん、おばあちゃんは…。
最初は黙ってたんですけど、バレてしまってからは父が急に帰ってき学校に連れて行かれたこともあります。
途中から妹も別室登校になっちゃたんですけど、2人で家にいるときに父親が帰ってきた音がして、
2階にダッシュして、屋根裏か、自分たちの2人の部屋のタンスに隠れるけど、見つかってしまったときのあの恐怖、今もすごく覚えてます。
そうやって連れて行かれた時は、しかたないので別室登校してましたね。
── 別室登校はすごく嫌だったのでしょうか。
別室登校は行ったら行ったで楽しかったですね。若い先生がいて、授業というよりはたまに教頭先生が来て、一緒に書道したりとか、ワークしたりとか。
うーん、でもあんまり憶えてないって事は、自分が思っている以上に行ってなかったかもしれないですね。行けると達成感が強かったから。
── 行けると達成感を感じた?
そうですね。誰からも怒られないですし。それに、父親から母親が責められる様子を見たりしなくてよかったとうのもあります。
中学校はゼロからのスタートだったけれど
── その後は、私立の中高一貫校を中学受験されたんですよね。
地方だと珍しいですよね。でも、とにかくプライドが高かったので誰かより下っていうのが嫌で。何か「自分は違うんだっていうのを見せつけたい」って思って受験しました。
住んでたのがすごい小さな町なので、99%の子が同じ中学に進むんですよ。その環境下では私は中学も行けないと母親が思ったのか、受験を許してくれました。
私も、環境が変われば自分も変わるんじゃないかな、と思ってました。…分かってなかったですね…正直。
── そんなにうまくは行かなかった?
そうですね…中学3年間のうち半年ぐらいは通ったかなと思うんですけど、半年のうち毎日通ったのは前半だけで、1ヶ月に1、2回が、週に1回になり、週に2回になり…。正直、週2回になったらもう…行きたくなくなるっていう(笑)。徐々に減って、完全不登校になりました。
── きっかけみたいなものは特に無くですか?
無かったんですよね。
誰がいやだということも無く、むしろ喧嘩をしつつも仲良くなって、仲のいい友達もできて、部活も始まって。普通の生活が始まったんです。本当にゼロからスタートできたのに行けなくなって…。今度は原因が分からない。なぜか行けなくなってしまいました。
── 小学校の時とは違ったんですね。
小学校の時は「行きたくない」が最初にあったはずなんですけど、そうじゃなくてもう「行けない」。行くということが考えられない。家から出て学校に行くって想像しただけで、辛かったですね。
── そこからはどんな生活をされていたんでしょうか。
中学2年生になるタイミングでもう一回行こうと思って、そのためにいろいろやっていました。周りのつてを頼ってカウンセリングに行ったり、ひたすらビリヤードとか卓球とかお菓子作りとかしながら話すような施設に行ったり、せめて苦手な英語・数学だけはやろうっていうので個別の塾に通ったりとか。
── フリースクールには行かなかったんですね。
存在は知ってたんですが、私は自分が不登校というのを認めたくなくて、「私は行けるんだ。理由が無いんだから」っていう気持ちがあったのでフリースクールを避けてましたね。認めたら戻れないんじゃないかという不安…というか認めなければ普通に戻れるっていう希望があったと思います。
── 2年生を目標に動いていたわけですが、どうなりましたか?
1日だけ行ってテストを受けました。その1日以外は1回も教室に行ってないです。
── そうなんですね。
友達が普通に受け入れてくれて楽しかったし、中2からみんなと一緒に始められるなっていう安心感もありました。でも、やっぱり半年間のブランクって大きいな、とも思いました。
当たり前なんですけど、自分の居場所を今からまた作らないといけないんだ、と。学校に戻ることに必死すぎて、その先のことをあんまり考えてなかったのかな。
── なるほど。
そのあとも、学校の先生から図書室に自由に来てもいいと言われて、週1回くらいは行ってたかな。行ってみて駐車場から出られないこともあったんですけど。先生が迎えに来てくださったこともあったし、途中まで母親と一緒に行った事もありました。
ただ、まず、廊下を歩くのが緊張するんですよね、すごく。一応、授業中の時間を見計らって行くんですけどね。
── 「行ける日」「行けない日」ってあると思うんですけど、そこで気持ちの変化ってありましたか?
とにかく行けたときの達成感はすごいですね。
「行かないと」ってずっと思ってるんですよ。常に「行かないといけない」って。周りからはそんなに言われなかったはずなんですけど、自分で自分を常に追い込んでいて、誰にも言われないけど、そう思ってました。
当たり前にみんながやっていることがこなせない。でも理由がわからない。…理由が分からないというか理由が無いんですよ。ならば行かないとけないはずなのに、でもなんか行けない…っていう。
そこから、なんで自分は行けないんだろう。ここがダメなんじゃないかっていうのを1年以上ずっと考え続けていました。
それで、「自分はなにかを我慢して乗り越える経験が必要なんだ」と思って、知り合いの人がやっているバレエ教室に通い始めたんです。
行く、だけど嫌だったら逃げればいいや
── なぜバレエに?
バレエというよりは、なにかを続けるってことが目的でした。
ダイエットが目的のような教室だったので大人の人も多くて、最初はすごく嫌で。大人との仲良くなり方も分からなかったんですけど、でも徐々に仲良くなって、そこからはほんとに楽しく通えたんです。中学校のときの唯一の成功体験でした。
それで、我慢して行ったら…こういう未来が待ってるんだと。挫折を初めて乗り越えましたね(笑)
── 避ける以外の方法を試して、うまくいったんですね。
はい。それで、認めたんですね、自分を弱さとか、できないことを。それで、進学先もそれまでの自分だったら中高一貫校だから絶対そのまま一環の高校に行ってたと思うんですけど、今の自分の状態でも頑張らずに行ける高校に行こうと。それで毎日登校型の通信制高校へ進学することにしました。
── 少し頑張れば大丈夫そうなところにハードルを設定し直したんですね。
はい。でも入学してすぐはすごくきつかったですね。荒れてる子やコミュニケーションが苦手な子が多くて、仲良くなれそうな子が少ないっていう状況。それに、窓も開けられない教室の空間が辛くて、最初はお昼ごはんも全然食べられませんでした。
── それでも通信制高校は通い続けた?
気合いですね。もう、3年間学校行かずに溜め続けた気合いで。その時の口癖、今でも憶えているんですけど、「1日休んだら一生行けない」って、ずっと言っていました。
それを私がいつも言ってるから、母親も必死に起こしたり、学校まで送ってくれたりしましたね。
── そこまで自分を追い込んでいたんですか。
ここで行けないならもう駄目だ。人生終わりだ。みたいに思っていました。
今までで、もう知っているので。もう家で考えるべきことは十分考えたし。家に居て楽しいことがないことは、知っているし。パソコンは楽しいけれど一時的なものだし。結局、その後どうするのか考えるのは自分だし。っていうのを、もう考えて考えて。
だったらとりあえず行こうと。嫌だったら逃げればいいやと。教室から逃げればいいやと。
── とりあえず行くだけ行く、そこから帰るのは良しとしたんですね。
ただ、行ったら今度は帰るのに勇気がいるんですよね(笑)。
そこまで勇気が無くて。結局、人の目をすごい気にするタイプだったんで…行っちゃったら帰らないんですよ。
それに、途中から行事を一緒にやった先輩と仲良くなったり、転校生が増えたりして、徐々に行きやすくなったのもあります。そうなると、最初のあの環境を耐えられてるんだから、今度も耐えれるんじゃないかと思えるようになりました。
── 耐えることで、耐えられるっていう自信がついたんですね。
あとは、中学校の時、図書館に行く時に誰か生徒と会ったらどうしようとか。帰るとき生徒とぶつかったらどうしようとか。トイレ行ってる生徒と会ったらどうしようとか。学校に行くときにそういうドキドキを味わなくてもいいんだ、というのがあったんで。
── 後ろめたさを感じなくていいと。
はい。それで高校の最後には必死にならなくても普通に行けるようになりました。私、今「今日は行こっか」とかじゃなくって学校に行ってるわ、って思った時は、もう感動でしたね。
そういえば、今日休んでも明日行けるかもという気持ちが高校3年生ぐらいに芽生えて、1回学校をサボったんですよ。
先生からは今まで皆勤だったのにもったいないことして、とすごく残念がられたんですけど、私は自分の中では「やってやったぞ!」ってすごい達成感を感じました。普通逆ですけどね(笑)。
大学で感じた劣等感。でも…
── その後大学へ進学されたということですが、不登校だったことがなにか影響してることってありますか?
大学入ってからは、サボったことほぼ無いんじゃないかな。ただ、負い目は感じてました、常に。
自分は普通に生きてたら普通になれなかったし、意識しないと普通のことができないような人間なんだから、人より頑張らないといけないし、普通の一般大学からすると私は底辺からのスタートなんだっていう劣等感はありましたね。
「普通の道を歩いてみたい」って中学校の時からずっと思ってたことが今やっと出来るんだから、失敗しちゃいけないな、と思ってました。
── 今はどうですか? 自分って普通だなと思いますか?
ずっと普通になりたいって思ってたんですけど、社会に出てから、「普通って何?」って言われたとき「あっ、確かになんだろう?」って思ったんですよ(笑)。普通の人って一体何だ?誰が普通なんだ?って考えても、結局分からないんだって。
広がったのかもしれないですね、世界が。
── 最後に、不登校になってから今にいたるまで、何が一番大切なことだったと思っていますか?
途中で焦るのをやめたことですかね。立ち止まるというか…後ろをちゃんと振り向こうって。中学生の時はとにかく未来ばっかり見ていて、立ち止まるのがすごく怖かったんですよ。
そうじゃなくて、今を見る。
── 今を見る?
今を見る。
今の自分の現状をちゃんと見る。次に学校行くためにはどうしたらいいんだろう、とかじゃなくて、今日一日をちゃんと頑張る。
たぶん中学生のときは、今日一日を見ることが怖かったんじゃないですかね。今日の自分を受け入れたくない、っていう気持ち。だから、今の自分の現状を知る、っていうのが私にとって立ち止まるってことだったんだと思います。
このコラムの著者
きたざわあいこ
株式会社クリスク ライター
北海道出身。中学時代に約2年間いじめにあい不登校になりかける。高校では放送部に熱中し、その後大学へと進学。上京してはじめて、学校以外の居場所や立場の違う人と接し、コミュニケーションについて考えるように。現在は自分の経験を活かし、子供の悩みや進学に関する悩みについての記事を執筆。
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