家でも学校でもストレスを感じて不登校に 【ユウキさんの場合 前編】
取材
2017年11月14日
大人になれば、選択肢が増えると共に、人との距離もとりやすくなるのではないでしょうか。
ですが、子どものときは、家も家族も学校も選ぶことが難しいもの。
うまくいっているときは問題なくても、そうでなくなった時、親は、周りの大人はどんな風に子どもに関わっていけばいいのでしょう。
また、気づいてあげることができるのでしょうか?
今回は、現在通信制サポート校に通っているユウキさんに話を聞きました。
嫌気が指してきて、なんで学校に行ってるんだろうって
ユウキさんは、中学2年生の夏から不登校になったという。
「中1の時は、生徒会にも参加したし、けっこう青春しながら過ごしてたんですよ。でも、2年生の9月ぐらいから、友だちとモメて嫌がらせを受けるようになって。例えば、向こうは友だち同士で喋ってるけど、大声で僕の悪口を言ってるとか。クラスの人の態度は普通だったけど、みんながその悪口を聞いているっていうのが嫌で、ストレスでしたね」
しかし、彼のストレスはこれだけではなかった。
それは、母方の祖母からの過干渉と、それを両親には話せないという、家庭内の悩みだ。
家庭と学校で積み重なった彼のストレスは、ふとしたきっかけで爆発することになる。
「登校中、クラスメイトから急に肩を叩かれた時に、なぜかすごくびっくりしちゃったんですよ。それで、急に言葉もうまく話せなくなって、逃げ出したい気持ちがふくらんできた。結局、泣きじゃくりながら保健室に逃げ込んだんです」
そのまま自宅へ帰ることになった彼を、母親は心配してくれたものの、父親は無関心そうであまり心配してくれなかったという。
「それで嫌気が指してきて。なんで学校に行ってるんだろうって思ったら、徐々に学校に行かないようになりましたね」
父親のこと、正直あまり信用はしてなかった
家庭への悩みを抱えていた彼は、親とどんな関係だったのだろう。
「当時は、父親とはあまり会話自体してなくて、挨拶だけの関係みたいな感じでした。全然コミュニケーションを取れてなかったので、正直あまり信用はしてなかったですね。
母とは…ストレスの元が母の方の祖母だったので…。その悪口を言うっていうのは抵抗があった。だから、愚痴は父方の祖母に言ってました」
例え実の親だとしても、関わりあいの薄い相手のことを心から信じられるわけではない。
でも、どんな親なら信頼できる?
そう親自身が自らに問いかけ実践するのは簡単なことではないだろう。親(大人)だって完璧じゃないし、自分のことで大変なんだから。
でも、子どもには、信頼できる大人が必要なのもまた事実だ。
「教室に行けなくなってからは、保健室登校だったんですけど、途中から教頭室に移動させられた。
最初はなんでだよって思っていたけど、教頭先生がすごく話を聞いてくれる人だったんです。だから、こんな先生いるんだなぁって思って、当時一番信用している先生だった」
その後、ユウキさんは精神科に通い投薬を受けるも、副作用のめまいや頭痛で、ひどい時にはベッドから起き上がれない日もあったのだとか。それでも薬にも慣れ、教頭先生のおかげもあり教室登校に復帰する。
「友だちにも会いたいし、勉強しなきゃなっていうのもあって、学校には行きたかったんです。でも、行ったあとの悪い想像もしちゃうから、行きたい気持ちと行きたくない気持ちで葛藤してました。でも、12月頃、教室に入れるようになったんです。1、2時間しかいられなかったけど、自分としては自信になったし、また教室に戻れるようになるかもって前向きな気持ちになりました」
物を投げた方がスッキリするじゃんって思っちゃうんです。で、投げちゃう。
そんな矢先、過干渉な祖母についての悪口を言っていたことを祖母本人に知られ、再びモメることになる。電話で罵倒されたというユウキさんは、泣きじゃくり、一晩が明けても足がしびれて立てないほど精神不安定になった。
「とてもひどい状態になった自分を見て、父もこんなにストレスを感じていたのかと思ったみたいですね。ただ、父が祖母が話し合いをしたり、絶縁話も出たりしたんですけど、結局は様子を見ようってことで事態はあまり変わらなかったです」
そうした期間が続き、ユウキさんは家庭でも祖母の話が出るたびにイライラして物を投げたり、物に当たったりしていたのだとか。
「イライラを抑えようと自分でも思うんですよ。でも制御がきかなくなってきて、物を投げた方がスッキリするじゃんって思っちゃうんです。で、投げちゃう。投げた瞬間はモヤモヤが真っ白になる感じなんですよ。でもそこには家族がいて、見てるわけじゃないですか。だから罪悪感もあるし、次は投げないようにしようって思う……その繰り返しでしたね」
そのうち、家にいることに耐えられなくなった彼は、父方の祖母宅へ身を寄せた。
高校は嫌でも卒業させます
「そのあとは、祖父がこれはどうか、と言ってきたフリースクールと塾に行くことになりました。
フリースクールは、最初は楽しく通っていたけれど、1人で黙っていると居づらい雰囲気でしたね。体調が悪くて話したくなくても積極的に仲良くしないといけない、みたいな」
同時に、中学3年生の学年だったことや大学進学の希望もあり、本格的に進路を考えるようになる。しかし、全日制の高校は内申点・出席日数の問題で入学できないことが分かった。
「全日制高校は諦めて公立の通信制高校に行こうと思ったんですけど、塾で相談したら、『あの学校は卒業率が低いよ。卒業するのも大変なのに、そこから進学となるとすごく大変だよ』と言われて。それは、自分には無理だなって思った。途方に暮れましたね」
そんな時、インターネットでいろいろ調べてる時に見つけたのが、現在通っている通信制サポート校だった。当時通っていた塾と同じ系列ということもあり、親に行きたいと相談した。
「そしたら、次の日には父親がほかの通信制高校のパンフレットも請求してくれてたんですよ。なんか、自分のためにやってくれたと思ったら嬉しくて。前向きになりましたね」
授業形式や進学へのサポート、教室の雰囲気などを調べるため、今のキャンパスへ訪れた時、キャンパス長にこんなことを言われたという。
“あなたに、行きたい進路とかやりたいことがあるなら、それを全力で応援します。それに高校は嫌でも卒業させます。なので自分がしたい将来の夢・進路を見つけて下さい”
「キャンパス長の言葉に感動して、ここがいい! と親に話しました。親からは『本当に全日制の高校じゃなくていいの?』と聞かれたけど、むしろこんなに自分のことを考えてくれる学校はない、と思って、中等部のフリースクールから入学しました」
後編では、不登校時代からの変化と、不登校で悩んでいる方へのメッセージをお聞きしました。
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このコラムの著者
きたざわあいこ
株式会社クリスク ライター
北海道出身。中学時代に約2年間いじめにあい不登校になりかける。高校では放送部に熱中し、その後大学へと進学。上京してはじめて、学校以外の居場所や立場の違う人と接し、コミュニケーションについて考えるように。現在は自分の経験を活かし、子供の悩みや進学に関する悩みについての記事を執筆。
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