評価という体験がきっかけで、不登校や非行などに繋がることもある
中学生
人間は、生まれた時から他人との関係の中で成長していきます。
生まれたばかりの子どもは、母親からすれば自分の分身であり、赤ん坊は母親や大人の援助なくしては生きていくことができません。母親や家族から無条件に愛される体験を通して、子どもは人を信じることができるようになり、また自分を肯定する基礎を培うことができるのです。
そして、子どもは成長するにつれて、親や家族以外のたくさんの人々から影響を受けるようになっていきます。人格の形成に影響を及ぼす人物も、そこで浮かび上がってくる問題も、年齢によって変わっていきます。
子どもは、家族という小さな枠の中だけではなく、社会全体から影響を受けて成長していくのです。
学校による評価が、子どもの心と行動に及ぼす影響
小学校に入学すると、通知表というものがあり、子どもは学校から評価されることとなります。
「よくできる」「できる」「もう少し」などの評価は、それが良いものであれば、親にとっても子ども本人にとっても嬉しいものに感じられるでしょう。
反対に、自分が思っていたものと違う時には、親も本人も少なからず動揺を感じることになるでしょう。例えば、生活面における「もう少し」という評価は、親としての自分自身を評価されているように感じてしまうという方も少なくないようです。
さらに、中学校に入学するとより明確に数字で評価されるようになります。自分のしてきたことを1~5などの数字で具体的に評価されるようになり、成績の評価から受け取る印象も自然と強くなります。
そして子どもは、努力に見合った結果を得られない場合や、自分には到底かなわないと思う人に出会った時には、挫折感や恥の気持ちを感じることとなるかもし れません。また自分の予想よりもマイナスの評価しか得られない場合には、怒りや不信感などの感情を抱くこともあるでしょう。
場合によっては、そういった感情から逃れるために、非行や不登校などの行動をとってしまうかもしれません。
ですが、こういった経験が人の成長にとっては欠かすことのできないものであることも間違いありません。
それでは、子どもが非行や不登校のような「サイン」を出している時に、親や大人はどのような反応をするべきなのでしょうか?
子どもの問題に対する親の関わり方
「いじめ」や「非行」は今日社会問題になっています。しかし、親やマスコミまでもが、躍起なって加害者探しをして、事件の原因として教師・学校・教育委員 会を一方的に批判する姿勢には、どことなく後味の悪さを感じずにはいられません。果たして、第三者が原因や加害者を探すことに意味はあるのでしょうか?
実際に、不登校になった子どもを対象に行ったアンケート(*)の中で、多くの子どもが「学校についてはそっとしておいてほしい」と答えています。
まわりが躍起になって不登校の原因を探し、それを取り除こうとすることは、本人にとっては余計に苦しみが増したり、自分を情けなく感じてしまうことにも繋 がりかねません。こうした行為が行き過ぎてしまうと、子どもが葛藤の末に進むべき道を自分自身で決定していく、という成長の機会を奪ってしまうことにもな りかねません。
不登校になった時期に、大いに悩み、どういった人に出会えるかが、人の成長において非常に重要になってくると思います。そして、抱えている問題を解決するのは、いつだって子ども本人です。 もちろん「問題を抱えた子どもを放っておく」「行き過ぎた行為を止める努力をしない」といったことは、問題ですが、「大人が関わる適切な距離」や「あえて見守る」という姿勢も、時には必要なのではないでしょうか。
(*)アンケートデータ:『スペース・イオ(「不登校」の児童生徒の「心の居場所」を提供している団体)の平成22年度イオ紀要』より
このコラムの著者
堀江ミク
大学では教育学部において、中学校高等学校の美術教員免許を取得。子育ての悩みを抱える「非行」と向き合う親たちの会とつながり2006年「非行」と向き 合う親たちの会を設立。現在小学生向けの学習塾を開設するとともに、産業カウンセラー協会の養成講座で指導者としてカウンセリングの指導に当たる。
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