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「明日は行くね」 不登校の私が母にそう言ってしまった理由

取材

2019年05月7日

不登校の子どもが、「明日は学校に行こうかな」そう言ったのに朝になると起きてこない。

この行動に、不登校でもいい、学校に行けなくても大丈夫。
そうは思っていてもがっくりきてしまう親は多いのではないでしょうか。

今回お話を聞いた女性・木村さんは、中学1年生から3年生の2学期まで不登校になりました。その間、母親に何度も「明日は学校に行く」と言っては、やはり行けないということを繰り返してきたと言います。

それはなぜなのでしょうか。そして、どのようにして不登校から学校に戻ることになったのでしょうか。

文章が読めない… 小学校から学校が苦手だった

「本読みとか、漢字が分からなくて。お母さんに聞いて、仮名を振って何度も練習してから学校に行っていました」

大人になってから発達障害の診断を受けたという木村さん。

子どものころから文字を読むのが苦手で、勉強もあまり出来なかったため学校は楽しい場所ではなかったと言います。それでも、友達の存在や気にかけてくれる先生がいたため、小学校には毎日通えていました。

しかし、中学校に入り環境は一変。
校則やルールが厳しくなり、木村さんにとっては暴言とも感じられるような指導が日常的に行われるように。

「自分が叩かれることはあまりなかったけれど、見てるだけでも辛かった。自分たちの意見や行動が一切尊重されないんだなと感じました」

そうして、中学1年生の1学期から自分の意思で登校することを止めたと言います。

母との葛藤の日々

最初は自分の意思で不登校になった木村さんですが、先生の罵声などへの恐怖が強まり学校に行けない状態になっていきました。

木村さんの母親は、登校できない娘にとても焦り、切羽詰まっていったと言います。彼女をなんとか学校に行かせようと、ときには窓から飛び降りようとし、ときには木村さんの首を締めたのです。

木村さんが幼いときの家族写真

 

「外に引きずりだされたことも何度もあります。母からすれば、『他の子はあなたと同じことされてても学校に行っているでしょう?なのにあなたは行けないの?』って。確かにそうなんですけどね」

ヒステリックに責める母親に対し、木村さんはついつい『明日は行くね』と言っていたといいます。

「母親の攻撃から逃れたい気持ち、とりあえず行くって言えば母が落ち着くかなという気持ち、本当に行きたいと思う自分の気持ち、いろんな感情が混ざっていましたね」

ですが、明日がきても学校に行けるわけではありません。行くと言ったのに行けない、今日は母親になんと言おうか、と一日中考えていたと言います。

「いいんだよ、無理して学校に行かなくても」

そんな生活が半年ほど続いたとき、母親が知り合いから市の教育相談とつながり、このままじゃいけないと思っていた木村さんはチャレンジ教室に行くことになりました。そこではじめて「いいんだよ、無理して学校に行かなくても」と言われたことで、木村さんはとても安心することができたといいます。

チャレンジ教室では、午前中に2時間勉強、お昼を食べたあとは2時間くらいスポーツをしながら過ごしました。そこへ2年間ほど通ううちに、「自分を変えてみたい」という想いから、中学3年生の3学期から元の中学校に戻ることを決心しました。

「教室に戻るのはかなり勇気が必要でした。でも、チャレンジ教室の先生たちを信頼していたので、安心して行くことができたんだと思います」

 

その後、木村さんは母となり娘と息子と育てるようになりました。しかし、木村さんと同じ時期に娘も不登校に。後編では木村さんが不登校経験者として我が子の不登校とどう向き合ったか、その経験からいまどんな活動をしているかを紹介します。

後編:親子二代で不登校 両方を経験したからこそ伝えたいこと

このコラムの著者

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株式会社クリスク  ライター
北海道出身。中学時代に約2年間いじめにあい不登校になりかける。高校では放送部に熱中し、その後大学へと進学。上京してはじめて、学校以外の居場所や立場の違う人と接し、コミュニケーションについて考えるように。現在は自分の経験を活かし、子供の悩みや進学に関する悩みについての記事を執筆。