不登校の進学戦略! アルファベットも書けない僕が公立大学、そして大学院へ進学できた理由
取材
2019年02月22日
小学5年生から中学3年生まで不登校となり、一時は自室から出られないほどだったという濱家幸太さん。
しかしその後、一念発起して入学した高校を皮切りに、公立大学、そして大学院へと進学します。
そこまでの努力をするためのモチベーションや、彼を支えたものは一体なんだったのでしょうか? そして、大学進学を果たした戦略とは一体なんだったのでしょう。
インタビュー前編:不登校の進学戦略! 小5から不登校、それでも全日制高校を選んだ理由
高校入学後はひたすら勉強…その理由は
── 高校に行くと決まったときに、親御さんからは何と言われましたか?
濱家さん:両親には厳しいことも言われましたが、最終的には「自分の人生だから、高校進学を選択するのも、中学を卒業して働く選択をするのも、自分で決めたらいいよ。ただ小学校から中学校のような引きこもり状態で一生を終えるのはやめなさい」と言われましたね。
高校だから中退になるというリスクもあるけれど、それはもう義務教育じゃないんで、そこはもう自分でしっかり頑張りなさいと。
学校では人間扱いされてなかったように感じていた自分としては、親は学校に行っていなくても一人の子として見ていたんだと感じ、嬉しく思いました。
── では、実際の高校入学後はどんな生活でしたか。
濱家さん:私が入学した高校は商業高校だったんですが、入学してすぐ、「この高校でしっかり勉強したら、絶対に上の大学に行けるから、中学の担任や同級生を見返してやれ!」と先生に言われたんです。
それはなぜかと先生に聞くと、多くの大学には、商業高校に在籍者のための推薦入学枠が用意されていると分かりました。それで、「今からでも頑張れば可能性がある」と知り、推薦が受けられるようにと、とにかく勉強していましたね。
苦しくても頑張れたのは「見返せ」という言葉があったから
── その後は、公立大学に推薦合格されたそうですが、小・中学校のブランクがある中、勉強は大変ではなかったですか?
濱家さん:商業高校だからかテストは全体的に簡単だったんだと思います。あと、簿記のようないわゆる商業科目はみんなスタートラインが一緒で、長く勉強していなかった自分にとってはスポンジに水が浸透しているかのごとく、得意科目になったというラッキーにも助けられました。でも、元はアルファベットも書けないレベルの学力だったので、とにかく毎日勉強してなんとか合格した形です。
── 努力が報われたわけですね。
濱家さん:大学には、合格した事も嬉しかったですが、中学校の時の先生とか、親戚とかに伝えたら物凄く喜んでくれたんですよね。
やっぱり学校に行っていなかったことを、どんな環境においても負い目に感じていたんですけど、それを志望大学合格ってことで払拭出来たのが、本当に嬉しかったです。
── 勉強や登校を続けるにあたり、体調や気持ちは大丈夫でしたか?
濱家さん:行かないとマズいよなぁって思った時に、お腹が痛くなったり頭が痛くなったりすることがありましたね。でも、その時に支えになったのが入学の時に言われた「見返してやれ」って言葉でした。
見返すためには、じゃあ今何をしたらいいんだって思ったら、学校行って授業受ける事だなと考えて、乗り越えることができたんだと思います。
でも、そういう風に頑張れたのは、小・中学校で結構休んでいたからこそかもしれませんね。勉強しないのってすごい楽なんですけど、ものすごく暇っていうか、不安になるんですよ。
今この時間に同い年の人達は授業を受けてる。でも自分は何もしてないしどうしたらいいんだろう…みたいな。
ただ高校では、進学っていう目標があって、そのために授業を受けて勉強して、知識がついていきました。それですごく自信が持てるようになりましたね。
いまは、センター試験だけで将来が決まる時代じゃない
── 濱家さんは「これだ!」とすぐに高校を決められたと思うんですが、通信制や全日制などの過程選択も含め、高校進学で悩まれる方は多いと思います。
濱家さん:中学校で不登校だと、通信制高校やサポート校に行く人が多いと思うんです。体調やコミュニケーションが不安、学び方が合っているなど、その選択は自分にとって良いものだと感じられるなら、全く問題ないと思います。
でも、実は全日制に行きたい、って言うのであれば私の様な事例もあるということは、知ってほしいですね。自分の行きたい大学が見つかった時に思いっきり努力が出来るのであれば、僕は全日制の専門高校という選択肢は大いにアリだと思うんですよ。
大学進学と言っても、今はAO入試などもあるし、単純にセンター試験のみで進学先が決まるって時代は終わりましたから、自分が納得していれば通信制高校でも、全日制高校でもいいと思います。
── ありがとうございました。
編集後記
一歩踏み出す勇気と、目標に向かって必死に努力することで、高校、大学、そして大学院まで進学されたという濱家さん。
本人の努力はもちろんですが、こんな可能性があると選択肢を指し示してくれる人、学校に行っていなかったとしても自分の存在を認めてくれる人の存在が、勇気や努力につながっているのだと感じました。
「自分はどうしたいのかを考えるために、人の話を聞いてみる。まずはそこから、動き出すきっかけがつかめる」
そうおっしゃる濱家さんは現在、不登校や学力不足で悩む学生に対し、母校での講話やNPOでの活動を開始されました。こうして、次は彼自身が辛い思いをしている人のきっかけになっていくのかもしれません。
このコラムの著者
きたざわあいこ
株式会社クリスク ライター
北海道出身。中学時代に約2年間いじめにあい不登校になりかける。高校では放送部に熱中し、その後大学へと進学。上京してはじめて、学校以外の居場所や立場の違う人と接し、コミュニケーションについて考えるように。現在は自分の経験を活かし、子供の悩みや進学に関する悩みについての記事を執筆。
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