不登校の進学戦略! 小5から不登校、それでも全日制高校を選んだ理由
取材
2019年02月15日
「小学校の勉強もできないところからだって、高校も大学も行ける。不登校になったら終わりなんて、そんなことはないんですよ」
もうこんな年だから。周りの人はあんなに出来るのに自分はだめだ。もう手遅れだ。
自分に対していろいろな言い訳をして、やりたいことをやれない、頑張る気力が沸かないことってありますよね。特に、自分は出来ていないことが他の人は軽々とこなしていると、自分の存在まで嫌になってしまうことも。
濱家幸太さんは、小学5年生から不登校となり、一時は自分の部屋から出られずトイレにも行けなくなったといいます。
しかし、そこから高校・大学と進学し、修士号を取得。自身の経験を活かして、現在は母校での講演活動や不登校のサポートを行っているそう。
大きな転機となったのは、全日制高校に進学したことだった。中学校で不登校を経験した人は、定時制や通信制に進学する人も多いもの。小学校5年生からほとんど学校に行っていない彼は、なぜ全日制高校に行くことにしたのでしょうか。
「濱家という名前は、差別される側にピッタリだ」
── 不登校になったきっかけはなんだったか覚えていますか?
濱家さん:私はあまり活発なタイプの子供ではなかったんですけど、小学5年制のとき、道徳の授業で「差別を考える」といったテーマで、差別される側の気持ちを体験するための劇を行うことになりました。そこで担任に、「濱家という名前は珍しいから、差別される側にピッタリだ」というような事を言われたんですよ。
それから引きこもりがちになりました。学校に行ってその先生に会うのが嫌になったんです。
でも、1週間、10日って休むと、怒りは当初に比べて減っていくんですけど、今度は休んでた事に対しなにか言われるんじゃないかと不安になって、行くっていう選択肢が無くなってきましたね。
当時は今みたいにパソコンもそんなに普及していないし、ましてやインターネットなんてなかったので、本当に寝そべって天井を見上げていて、気が付くと5・6時間経っている感じでした。
── 中学生になっても、不登校は続いたそうですね。
濱家さん: 環境が変わったら…っていうのを両親は期待していたみたいなんですけど、公立中学なので小学校が同じ人がいるのが嫌で、中学も行きませんでした。両親と何回もケンカをしましたね。「頼むから出て来いよ」とか、「せめて中学校だけは卒業しないと」みたいなことを言われました。
とはいえ自分でも、ずっとこのままだと自分はいったいどうなるんだろうという焦りや不安がありましたね。
そして中学3年生の4月、 担任になる人から電話があって、学校に行かないのは病気だとか、育て方が悪かったからだというようなことを言われ、別の中学校に転学するように言われたんです。
学校に行っていないことで、なぜ生きてる価値がないと言われないといけないのか、本当に自分には価値がないのかと考え、ものすごく悲しかったですね。
ただ、その後転校した学校での先生が非常に熱心な先生だったこと、クラスメイトが全く知らない人たちだったこともあり、その中学校に通うことにしたんです。
学校には登校できたものの、別の絶望に襲われ…
── 環境や授業などにすぐに馴染むのは大変そうです。
濱家さん:そうなんです。小学校5年生から中学校3年1学期まで全く勉強というものをしていない状態で、中学校3年の授業についていけるかっていったら、まぁついていけないんですよね。
当時の私の学力は、英語は苦手以前にアルファベットが全部書けなかったです。九九もかなり忘れていたし、自分の名前も漢字で書けませんでしたね。
そうなると、今度は自分への絶望感で行けなくなってしまったんです。
担任の先生は少しずつ勉強していこうかって言ってくれたんですけど、当時の私はどうせ間に合わないでしょ、と思っていました。
── それは何に対してですか?
濱家さん:入試ですね。私は全日制で高校生活を送りたいという思いがあったんです。だから、「全日制に行くには受験が必要だけど、自分は勉強が全然できないし無理でしょ」と先生に言うと、先生は即答で、「いや、あるよ」って言ったんですよ。
それをきっかけに、高校進学しようと勉強をはじめました。
志望校は私立だったので、受験科目は国・数・英のみ。時間もないし、徐々に勉強の難易度をレベルアップするのではなく過去問をひたすら繰り返して、それで単語や漢字を覚えていきました。平日も休日もとにかく勉強していましたね。
── ほとんど勉強していなかった状態から、そこまで勉強に取り組むのはとても大変なことだと思うんですけれど、一番のモチベーションはなんだったのですか?
濱家さん:高校に入ってやり直したかったっていうのが一番大きかったですね。
いわゆる高校生みたいに、制服着て、学校行って、クラブ活動してから家に帰って、親と学校の話をしてお風呂入って寝るみたいな、そういう当たり前の生活を、とにかくしてみたかった。なぜなら、したことがないから。そういう思いが強かったです。
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後半は、高校入学後、なぜ公立大学への進学を目指すことになったのかをお聞きしました。
このコラムの著者
きたざわあいこ
株式会社クリスク ライター
北海道出身。中学時代に約2年間いじめにあい不登校になりかける。高校では放送部に熱中し、その後大学へと進学。上京してはじめて、学校以外の居場所や立場の違う人と接し、コミュニケーションについて考えるように。現在は自分の経験を活かし、子供の悩みや進学に関する悩みについての記事を執筆。
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